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【ネット】「匿名で『正論』という武器で『巨悪』を叩く人いるが、彼らは行動力ない。匿名である限り世間の評価低い」…水島精二監督

2009年01月12日 23:16

「すべてが他人事」の環境が、欲望のスタイルを変えた 水島精二監督「機動戦士ガンダム00」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081224/181287/

―― “ビッグネーム叩き”という現象があるというお話をうかがいましたが、何か「巨悪」みたいなものを見つけて
批判を繰り返す行為は、どうして起きるのだと思いますか。やむにやまれぬ正義感でしょうか、それとも日常で抱える不満のうっぷん晴らしなのでしょうか。

両方じゃないでしょうか。「批判することで良くなるかもしれない」という思いは、心の中にあるでしょう。
自分は憂さ晴らししているだけなのだと思ったら、寂しくなりますからね。自分の中で、どこかに正義を保てないと、
俺、何をやっているんだろうというところにいってしまうと思うんですよ。
人に批判の言葉を叩きつけるためには、そこになにがしかの「正義感」を持っていないと難しいんです。

―― では、その正義は、どのような拠り所に支えられているのだと思いますか。
匿名の正論は、実行できない
自分が言っていることが、いわゆる「社会の正義」に同調したものなのだと、そういうふうに思いたいのかなと。
叩きをする人たちは、ネットが“民意の集合体”のように見える構造を利用して、一番分かりやすい真っすぐな
「正義の言葉」を投げてくるわけです。見ていて興味深いと思うし、これが今の時代性なのかなと思います。

―― それが「時代は“正義”を欲望する」ということですね。

でも、正論を言う人が、本当にそのように行動できているかというと、それはまったく別ですからね。
正論はあくまでも論でしか無くて、実際に、その通りに行動してみろと言われたらできない人がほとんどですよね。

―― 確かにそうですね。

たとえば、どこか名前の知られた組織がミスや事故を起こして、それに対して批判が出て、社員が謝罪するというパターンがあって。
ネットでよく見るのは、その組織に所属している人間を徹底的に批判することなんですが、批判する側は、
いざその批判を自分が受ける側になったらどうするかというのは考えていないんですね。
批判をする側は、自分の発言をいわゆる社会正義だと思って書き込むんですけど、その個人に対して
「あなたは失敗したことはないんですか?」と問うと、みんな、おっとって引いちゃうと思うんです。

―― それはなぜだと思いますか。

それは言葉に、「自分の行動」というバックボーンがないからです。「その時、自分ならどうするか」という肝心なところがないと、
机上の空論になってしまいますよね。頭の中のロジックだけで考えた正論というのは。

―― 社会正義と個人は別物と。「自分ならどうする」というところが肝心なんですか。

そうですね。それが発言に責任を持つ態度だと思います。
ネットというのは、名前を伏せて発言ができるから、言いっぱなしになれるというのが「いい」んですよ。発言に相応しい行動を
とっているかどうかが問われない、安全なところにいられる。だから叩かれない。自分の身に危険が及ぶというのは、
名前をさらしているからこそじゃないですか。
匿名というのは、名前=「自分」がいなくていい状態なんですよ。
「人ごと」として発言できるから、その分、無責任になれる。言ったことに、責任を取らなくてもいいという。
責任を取らなくていいというのは、現実にはなかなかない場ですよね。
無責任に発言できるメリット・デメリットが社会を大きく変えた
だから匿名はダメだ、発言は必ず実名にしろ、ということを言いたいんじゃないです。
無責任に発言できるということには、もちろんメリットもある。そしてこうした怖さもある。
両方を含めて、ネットが利便性だけでなく、欲望やモラル、社会の雰囲気に至るまで、すごく世の中を変え、動かしているのを感じますね。

―― それは監督自身も…

自分自身も、こうした変化にはものすごく影響を受けています。それはもう自覚した上で、作品作りをしているので。

―― やっかいな時代の欲望と向き合うわけですね。

ただ、批判を繰り返す人に言いたいのは、ネット上では「正論」は強力な武器になるとしても、それが無記名な、
名前を隠している発言である限り、世間での評価というのは、実際には低いんだよ、ということですね。


やっぱり無記名であるが故に、そのときの会話、その瞬間だけのこととして落ち着いてしまうんですよ。

―― 責任が発生しない以上、その発言はあまり信用できないということになるのでしょうか。

そう思います。いくら社会正義を説いたつもりでも、名前を出していない人の発言は忘れ去られるという。
残念ながらそれは、「当人の存在自体が小さい」ということに繋がりますよね。記名で、自分の意見をきちんと言える人に
なったほうがいいんじゃないかと思います。
「ダブルオー」に対する批判についても、いくら評論家みたく批判をしていても、誰が書いたかわからないのでは、
僕らも信用しようがないというところがあるんです。だから実は、匿名の掲示板で批判を繰り返していても、まったくそれは、
相手にとっても自分にとってもプラスにならないんですよ。自己満足をしているだけで。

「理屈」で勝つ、あんまりな虚しさ

―― 発言者の立ち位置を切り離して、理屈のみで「勝って」も、ダメですか。

それは、匿名というのは、絶対「負けない」立場ですからね。それでは最初から議論にならないです。
もし、作り手を刺激するようなことをどんどん言える人だったら、それはもう記名で文章を書く人になればいいじゃない、
と思うわけですね。リングに上がっていらっしゃい、と。そんなに今のアニメを変えたいと思ってくれているのだったら、
ちゃんと自分の名前という看板を背負ってやればいいのに。そこが僕はもったいないなと思います。
―― 自分の看板を背負うというのは、発言に責任を持つ「当事者」になるということですね。

そうですね。どんな場でも、社会になにがしかの影響を及ぼそうと思ったら、匿名でいられることってほぼないですからね。
自分も傷つく覚悟がないものは価値がないと思いますし、どんなに真実が書いてあっても、そこはやはり評価されないものだと思うので。
でも最近、こういう無責任さというのは、ネットだけじゃなく日本全体に広がっているんじゃないかと感じるんですよ。

すべてが「他人事(ひとごと)」めいてくる
―― 責任を取るということは、リスクを引き受けるということですよね。

もう懐かしいような話ですが、福田さんが首相を辞任したときは驚きました。えっ、辞任なの? こんなタイミングでと。
安倍さんもすごい幕の引き方だったけど、この人は、何しに出てきたんだろう、という感じになっちゃいましたね。
そのとき思ったのは、ああいう降り方がまかり通ってしまうと、今後日本の首相は、自分がやばくなったら降りてしまうんじゃないの、ということでした。
政治を「他人事」みたいに考えてしまって。まあ、他人事みたいな語り口と言えば、国民だって、アイツはだめだとか、いろいろ言いたい放題ですから同じなんですけれども。
われわれ国民も冷たいですよね。自分の国なのに。

―― そうですね。そこが不思議な面でもありますね。首相のように、責任のある立場に就く人に対しての“叩き”が、トップに行けばいくほどひどくなるという。

今、国民自体が、知るべき事をすべてを知った上で首相の仕事を語れというのは、もちろん無理なのだろうけど、でも、
結局は自分たちがトップを選んでいるという部分を含めて「無責任」になっているんだろうなと思います。
そういう視点で見ると、国民のモラルというものがもう少し大事にされてもいいんじゃないの、と。国民が政治に参加すること、
一人一人が社会に参加することの意義をもう少し見直した方がいいんじゃないの、とは思います。
皆が社会の問題を、自分の問題として自分の頭で考えていたら、世の中はもっと良くなっていますよね。政治に対してももっと
関心を持って具体的な発言が出るようになると思うし、企業が裏でしていた行為が浮き上がってきたときの対応も、まったく違うと思うんですよ。

―― これまた、ある程度は当事者になろうよ、ということですね。……これは私個人としても耳の痛いところで、政治や社会の出来事が、
自分と直接関係があるものとはなかなか思えないのですね。どこか「他人事」だと思ってしまう。遠すぎると言いますか。

実感なき社会が関心なき若者をつくる

それはですね、「今の若者は政治に関心がなくていかん」とさっきまで言っていた僕だって、実は昔はたいして考えてなかったですからね(笑)。
自分も考えていなかったら、若い人の関心のなさがよく分かるんです。だから政治に無関心な若い人たちを責められないんだよな、
と思っていて。いや、政治には興味なかったです、35歳ぐらいまでは。世の中が悪いと思ったこともなかったし、
今もそれほど悪いとは思っていないんですけど。
ただ、「国とか上の方が、何をやっているのか分からない」という国民の心理は本当だと思うんです。

―― どこか社会に対して「人ごと」感がぬぐえないのは、社会と自分との間に乖離があるからなのかもしれません。

それは個人が、社会との繋がりや与える影響を実感できていないからだと思いますね。
今の世の中、情報はあふれている。だから情報を摂取しただけですべてをわかった気になってしまう。ネットで“責任を伴わない正論”が
出てきてしまうのも、同じ理由だと思います。

―― なるほど。

自分と関わりがないことだと、頭の中のロジックだけで完結してしまうんだと思います。だから行政や政治について、
机上の正論をたてに攻撃するだけになってしまうという。
でも言いっぱなしというのは、社会に対して責任を取っていない姿勢だと思うのですが。
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